九九を覚えたときの感じ

かれこれ2年近く壁にぶつかっている。どうにもしんどく、イライラして、でもなんとかやり、今度こそコツを掴んだかと思うと、まだ全然できていないことがわかる。

 

ふと、これは、九九を覚えたときの感じに似ているな、と思った。

私は九九が苦手であった。

 

母によると私は、年の離れた兄が九九を覚えているのを毎日聞いているうちに、2歳か3歳で九九を全部言えるようになったらしい。

しかし、いざ小学二年生になってみると、残念ながら、きれいさっぱり忘れてしまっていた。まっさらな状態で対峙した九九は、じつに苦手なタイプだった。「九九を諳んじる幼児」という、ありふれてはいるが天才じみた逸話は、私の拠り所になるというよりも、むしろ惨めさを掻き立てた。

 

あなたにも同意してもらえると思うが、七の段はひときわ凶悪だった。

ニの段や三の段は、いざとなれば足し算が間に合う。五の段はいわばボーナスステージだ。八の段は四の段の応用が効くし、九の段は、十の位を1ずつ足し、一の位を1ずつ引けばいい。

ちょっとずつ法則を見つけ、多くのことが確実にできるようになり、自信もついてくる。そんな中、なんともならない、ただ覚えるしかない七の段。

 

私は七の段をなんとか初めて言えるようになった日、しちくろくじゅうさん、と言ったあとシクシク泣いた。嬉しかったのではない。なぜこんなにつらいのだろうと思って泣いたのだ。どうしてこんな思いをしてまで、七の段を覚えなければならないのか?この先もずっと、七の段を使わなければならないのだろうか?

 

もちろん七の段はその後もずっと必要になる。そして、そのとき泣いたほどのつらさは、今ではもう全然感じない。

いまや私は七の段を自由自在にあつかうことができる。

 

ところで、今現実に立ちはだかる壁は「育児」というやつで、九九のように正解もゴールもない。しかし、「どうしてこんなにつらい思いをしてまで」とつい考えてしまうとき、私は七の段のことを考える。しちく?しちく、ろくじゅうさんのはずだ。オーケー、オーライ。

父の死、私の食欲

父が去年亡くなった。煙草を沢山吸う人だったので肺癌になった。父も叔父も祖父も、煙草をよく吸い、肺癌で亡くなった。

 

私は煙草の煙がゆらゆらと上るさまが好きで、ヤニの匂いも(粗悪な消臭剤などと混ざっていなければ)嫌いでなく、煙草を吸いたい人は吸えば良いという考えである。あなたは違う考えでも一向に構わない。

 

去年、父の容態がいよいよ悪いという頃、私は足繁く入院先に見舞いに行った。父はもちろん煙草を吸えず、病院食もあまり食べられなかった。ただ、一番小さいペットボトルのコカ・コーラをたくさん冷蔵庫に入れ、よく飲んでいた。

私は父の好きなバターピーナッツを持っていったが、父は食べられなかったようだ。しかし私は無性に食べたくなり、自分の分をキオスクで買い、帰りにむしゃむしゃ食べた。

 

別の日には、モスバーガーのロースカツバーガーを父に差し入れた。家族は仰天した。みんなに「それはない」と笑われた。私もそりゃそうだと笑い、持って帰ると申し出たが、父はそれをことわり、皆が病院から帰ったあとに、ロースカツバーガーを半分食べ、セットのポテトも食べた。そうラインしてきた。私は嬉しかった。すこしでも浮世のものを食べたり、好きなように過ごさせてあげたかった。(煙草だってカートンで吸わせたいぐらいだった)

そして私は帰り道に、やはりロースカツバーガーを食べたのだった。

 

ほどなくして父が亡くなり、ばたばたと葬儀があった。しずかで控えめな葬儀で、母と兄と私と夫しかおらず、あまり泣くこともなかった。

実家に持ち帰った父の位牌には、煙草と、父が好きだったあんみつの缶詰が供えられた。

 

その後一度だけ、あんみつを食べたことがある。一人で自宅にいて、他に食べるものがなかったのだ。

父が元気な頃に、みんなで食べようとかなりの量を買い込み、予定が延期になるうちに手元に残っていた。缶詰のあんみつは意外なほど長もちする。

 

しかし口をつけた途端に嗚咽が止まらなくなり、号泣しながら食べることになった。

 

それっきりあんみつは全然食べる気がしなくなった。食べられると思うが、食べる気にならない。

同じように、ロースカツバーガーもあまり食べたくなくなってしまった。バターピーナッツだけは、父が亡くなったあとも何度か買って貪るように食べたが、今は全然欲しくない。

 

ずいぶん前に実家を出てから、父と過ごす時間はとても短くなっていた。あまりメールもしない人だった。なので、父が死んでいることを深く実感する機会は、正直あまりない。墓参りもしていない(散骨予定だ)。

 

ただし、父の好きな食べ物に対する食欲の欠落 という形で、私は父の死をつねに身に着けている。あんみつ屋を見かけたとき、モスバーガーに入ったとき、コンビニのつまみコーナーにいるとき。すき焼きの春菊。鰻。天ぷら。さよなら。

水曜日なのでハーゲンダッツを食べた

週休3日で働いており、土日の他に水曜日に休んでいる。水曜日は何をしても良い。一日中ゲームをしてもいい。映画館をハシゴしてもいい。海まで行って恋に落ちてもいい。そんなことをしなくても、自分のペースでひとりで自由に過ごすだけで最高なので、そうしている。

 

今日はハーゲンダッツを食べた。ハーゲンダッツを食べるとN先輩のことを思い出す。

 

N先輩は社会人になって数年経つまで、ハーゲンダッツを食べたことがなかった。あんなに高いアイスを買うなんて、正気と思えない、そう思っていた。ところがある日何かのきっかけで(先輩は濁していたが、たぶん恋人がきっかけで)ハーゲンダッツを食べたら、その美味しさに仰天した。これを知らなかった今までの人生は損しているし、こんなにおいしいのにこの価格なら、コストパフォーマンス最高のアイスだと思った。

 

それからというもの、先輩は毎日ハーゲンダッツを食べた。これからの人生を一日も無駄にしたくないかのように。しかしふと、出費もカロリーも馬鹿にならないことに思い至る。どうする?

先輩は考えた末に、毎日ハーゲンダッツを買うのをやめた。かわりに、ハーゲンダッツのパーティーパックを買うことにした。

 

パーティーパックはバラ売りのハーゲンダッツよりひとまわり小さいカップが6個入りで、少しお得なのだ。それを食べ続けることにした。

 

しばらくして、パーティーパックはバラ売りより一回り小さいので、2個食べてもいいんじゃないか?と思い始めた。

 

パーティーパックのカップ2個は、どう考えてもバラ売りのカップ1個より多い。いいんじゃないか?と思う時点でかなりどうかしている。しかし、既に泥沼にはまっている先輩を誰が止められるだろうか。先輩は1日に2個ずつ食べはじめた。

 

それから数ヶ月後に、先輩は乳脂肪が原因で皮膚にポツポツしたものができ、自分の消化能力以上のハーゲンダッツを食べていることを改めて反省して、ハーゲンダッツとの距離は普通の人並みに戻ったのだった。

妖精のおっさん

近所に妖精のおっさんがいる。

 

妖精のおっさんは、ホームレス風で、ひょろひょろの体にクタクタの服を纏っている。年中同じブーツで、キャップを被って、肩ぐらいの長髪は半分白髪。これがもしホームレスなら、風上にいれば距離があってもわかるぐらい臭いし、ちょっと持てない量の荷物を持っているはずだが、彼はまずまず清潔で、いつも手ぶらでいる。

 

私がその清潔なホームレス風のおっさんを妖精だと気づいたのは、彼が善行を積んでるからに他ならない。子供を二人載せられる最新の電動自転車がヌッとナナメに停められて歩道が狭くなっていると、向きをそっと直している。道の端にある、側溝というのだろうか、掃き掃除なんかしたあと葉っぱとかを落としてしまう穴が空いてたりするが、あそこをバコっと外して丁寧に掃除している。スーパーの入り口のゴミ箱の、グシャグシャに詰め込まれてあふれているゴミを袋にうつして、整えている。

雇われてやっているのではない。側溝は何でも自分でやりたがるウチの大家の敷地内のものだし、スーパーの従業員なら制服を着ている。彼は善意でやっているとしか、考えられないのだ。そんな人がいるだろうか?そんな人間が?

いない。すなわち妖精でまず間違いないだろう。

 

妖精はめったに喋らないが、赤ちゃんを見かけるとめちゃくちゃ笑顔になって、かわいいねぇ〜!と言う。でも、だいたい無視されている。あんなに善行を積んでいるのに、とびきりの笑顔を赤ちゃんに無視されてしまう。

 

先日、こんなこともあった。近所で怒鳴り合いが聞こえてきて、なんとなく聞いていると、どうも歩行者と車の運転手が、何か事故りそうになったことについて、お互いを罵っている。一回、お互いすいません、みたいに落ち着いて、車が向こうに行きかけた時に、歩行者がまた「ふざけんなよ!」とか怒鳴っちゃって、それでまた車の人が怒って、みたいに泥沼になってる。どうも、歩行者は酔ってるっぽいな。

そっと気づかれないように窓から見たら、歩行者は妖精だった。

あんなに善行を積んでるのに、車に轢かれそうになった上怒鳴られてしまう。まあ今回は、妖精側にも非があるっぽいけど。

 

そんなこんなで人間が嫌になったのだろうか、最近妖精のおっさんを見なくなった。それとも、私に見えなくなってしまっただけなのだろうか。何しろ最近忙しい。忙しい人には妖精は見えないものだから。

ファジーなアドバイスと週休3日

「なんとなく、こうしたいなーと思ってると、なんかそのうち叶うんだよ」というファジーなアドバイスを、恩師に受けたことがある。

今まで受けたアドバイスの中でも段違いにファジーなのでよく覚えている。アドバイスって言っていいのかも怪しい、なにしろ、何の行動も促されないのだから。

 

でも、それから何年も経つうちに、たまにその通りになったりして、「これか!」と思う。

最近でいうと、週休3日。

 

遡ること数年前、社会人になって間もなく、私は「週5日も仕事してられないな、気分も悪いし、効率も落ちる」「水曜に祝日がある週、めちゃくちゃいいな…」と週休3日への思いを馳せていた。週休3日に関するオリジナルソングを作って風呂場で歌っていた。

その後色々あって、どういう因果か、激務の会社に転職するなどして、すっかりそんなことも忘れていた。そして最近、出産明けに入社した会社で、週休3日にしてもらった。希望したら、承認された。とてもスムーズに。

なんだよ!こんなあっさりできるの?もっと早くやればよかった!という思いとともに、「これ、アレだわ」と思った。あのファジーなやつだわ。

 

週休3日はとにかく凄く良くて、最高なのです。だから全然文句ない。おすすめです。ただ、「これか!」ってなったあと、妙に脱力してしまう。あ、これアレだわ、あのー、なんとなく思ってたやつが、なんかそのうち叶うやつ。先生、ほんとに仰る通りです。その通りなんですけど、もうちょっとなんか言い方なかったですか。

 

 

離乳食とスープストック

毎週土曜日の「すくすく子育て」を見ている。

子育て中の両親はかなりテンパっており、専門家に「まあ落ち着いてください、大丈夫です、ふつうにやんなさい、あともう少し休んだら?」と言われないとままならないものなんだなあと感じるし、実際自分もそう。

 

ちょっとずつわかってきたのは、わたしが思っている以上に、ほとんどの問題が「それは置いといて、もうちょっと休む」というのを実行すると解決する。

人によっては勇気がいることかもしれないが、たとえば離乳食を作って消耗するくらいなら市販のベビーフードを与え、親が心に余裕を持って楽しく過ごす方が家庭にとっては贅沢だと、わたしは思うし、我が家のプライオリティはそういうことになっている。

 

というわけで、離乳食なぞ一個も作らなくてもいいし、大人の食事だって買ってきたやつでよいという前提のもと。「気晴らしに離乳食でもつくるか」というときに、ついでにスープストックも作ると便利だという話です。

 

1.

3〜4種類の野菜を、赤ちゃんが食べるより多くゆでる

(余裕があれば水から沸騰直前まで出汁昆布を入れてもよい)

わたしは鍋がいっぱいになるぐらいやります

 

2.

離乳食で使う野菜を取り出し、刻んだりブレンダーにかけたり潰したりする

 

3.

2.の成果物を製氷皿に入れて凍らせる

(凍ったらジップロックにうつしかえると運用がスムース)

1週間使える離乳食野菜になりました

 

4.

鍋に残ったものに、塩をほんのりしょっぱい程度に入れて一煮立ちさせ、アルコール除菌をしたタッパーに入れて冷蔵保存する

(キノコを入れてもうまい)

1週間使えるスープストックになりました

 

5.

離乳食はレンジで温めて使います

スープストックは鍋で温めて肉や魚を足したり味付けを足して使います

 

スープストックに肉と味噌を足すと一汁になるので、一汁(一菜)がすぐできる。その日その日に作ることを前提とする土井善晴さんの一汁一菜からはすこし脱線してますが、そこはそれ。

平日昼、赤ちゃんと家にいて、5分で自分のメシができるというのは結構いいです。昼寝してから30分後に起きちゃっても食べ終わってる。それがどんなに助かるか、わかる人。お互いおつかれさまです。

 

 

*スープストックについては以下を参考にしています

https://hokuohkurashi.com/note/77803

 

信頼できるカレールー

家カレーについては、大別すると三つの派閥があるように思う。

ルーのパッケージ通りに作る派。

ルーを複数混ぜたり色々な物を入れる派。

ノールー、スパイスから作る派。

それぞれに良さがあり、「家カレー」なのだから各ご家庭の好みに合うものが正解だと思う。

 

わたしは、ほぼ、ルーのパッケージ通りに作る。ルーはいつもおなじ。とても信頼できるルーだ。もちろん他のルーを混ぜたりしない。一種類でめちゃくちゃ美味しいのだから、そんなことしたら信頼関係にヒビが入る。

 

このルーのいいところは何しろ、とても美味しい。

そして美味しいだけでなく、驚くべきことに、パッケージの作り方のところに「肉をたくさん入れると美味しくなります」と書いてある。

身も蓋もなくて、とても信用できる!こういう人と友達になりたい。

実際、肉を多めに入れるとおいしい。わたしはルーに従って、ルーの作り方に書いてある量の1.5倍くらい肉を入れる。ルーに従ってルーの量を変える。

 

また、子ども用には牛乳を入れてくださいということも書いてある。子ども味覚のわたしには牛乳を混ぜるのが昔からの定番だったが、信頼できるルーにゴーをもらうと嬉しい。

 

ここまで書いて、あらためて実物を確認すると、「肉を多めに〜」の注釈はなくなっていた。あれ?

まあ、いいや。わたしは君のことが好き。今日も一緒にカレーを作ろう。

 

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