父の死、私の食欲

父が去年亡くなった。煙草を沢山吸う人だったので肺癌になった。父も叔父も祖父も、煙草をよく吸い、肺癌で亡くなった。

 

私は煙草の煙がゆらゆらと上るさまが好きで、ヤニの匂いも(粗悪な消臭剤などと混ざっていなければ)嫌いでなく、煙草を吸いたい人は吸えば良いという考えである。あなたは違う考えでも一向に構わない。

 

去年、父の容態がいよいよ悪いという頃、私は足繁く入院先に見舞いに行った。父はもちろん煙草を吸えず、病院食もあまり食べられなかった。ただ、一番小さいペットボトルのコカ・コーラをたくさん冷蔵庫に入れ、よく飲んでいた。

私は父の好きなバターピーナッツを持っていったが、父は食べられなかったようだ。しかし私は無性に食べたくなり、自分の分をキオスクで買い、帰りにむしゃむしゃ食べた。

 

別の日には、モスバーガーのロースカツバーガーを父に差し入れた。家族は仰天した。みんなに「それはない」と笑われた。私もそりゃそうだと笑い、持って帰ると申し出たが、父はそれをことわり、皆が病院から帰ったあとに、ロースカツバーガーを半分食べ、セットのポテトも食べた。そうラインしてきた。私は嬉しかった。すこしでも浮世のものを食べたり、好きなように過ごさせてあげたかった。(煙草だってカートンで吸わせたいぐらいだった)

そして私は帰り道に、やはりロースカツバーガーを食べたのだった。

 

ほどなくして父が亡くなり、ばたばたと葬儀があった。しずかで控えめな葬儀で、母と兄と私と夫しかおらず、あまり泣くこともなかった。

実家に持ち帰った父の位牌には、煙草と、父が好きだったあんみつの缶詰が供えられた。

 

その後一度だけ、あんみつを食べたことがある。一人で自宅にいて、他に食べるものがなかったのだ。

父が元気な頃に、みんなで食べようとかなりの量を買い込み、予定が延期になるうちに手元に残っていた。缶詰のあんみつは意外なほど長もちする。

 

しかし口をつけた途端に嗚咽が止まらなくなり、号泣しながら食べることになった。

 

それっきりあんみつは全然食べる気がしなくなった。食べられると思うが、食べる気にならない。

同じように、ロースカツバーガーもあまり食べたくなくなってしまった。バターピーナッツだけは、父が亡くなったあとも何度か買って貪るように食べたが、今は全然欲しくない。

 

ずいぶん前に実家を出てから、父と過ごす時間はとても短くなっていた。あまりメールもしない人だった。なので、父が死んでいることを深く実感する機会は、正直あまりない。墓参りもしていない(散骨予定だ)。

 

ただし、父の好きな食べ物に対する食欲の欠落 という形で、私は父の死をつねに身に着けている。あんみつ屋を見かけたとき、モスバーガーに入ったとき、コンビニのつまみコーナーにいるとき。すき焼きの春菊。鰻。天ぷら。さよなら。