九九を覚えたときの感じ

かれこれ2年近く壁にぶつかっている。どうにもしんどく、イライラして、でもなんとかやり、今度こそコツを掴んだかと思うと、まだ全然できていないことがわかる。

 

ふと、これは、九九を覚えたときの感じに似ているな、と思った。

私は九九が苦手であった。

 

母によると私は、年の離れた兄が九九を覚えているのを毎日聞いているうちに、2歳か3歳で九九を全部言えるようになったらしい。

しかし、いざ小学二年生になってみると、残念ながら、きれいさっぱり忘れてしまっていた。まっさらな状態で対峙した九九は、じつに苦手なタイプだった。「九九を諳んじる幼児」という、ありふれてはいるが天才じみた逸話は、私の拠り所になるというよりも、むしろ惨めさを掻き立てた。

 

あなたにも同意してもらえると思うが、七の段はひときわ凶悪だった。

ニの段や三の段は、いざとなれば足し算が間に合う。五の段はいわばボーナスステージだ。八の段は四の段の応用が効くし、九の段は、十の位を1ずつ足し、一の位を1ずつ引けばいい。

ちょっとずつ法則を見つけ、多くのことが確実にできるようになり、自信もついてくる。そんな中、なんともならない、ただ覚えるしかない七の段。

 

私は七の段をなんとか初めて言えるようになった日、しちくろくじゅうさん、と言ったあとシクシク泣いた。嬉しかったのではない。なぜこんなにつらいのだろうと思って泣いたのだ。どうしてこんな思いをしてまで、七の段を覚えなければならないのか?この先もずっと、七の段を使わなければならないのだろうか?

 

もちろん七の段はその後もずっと必要になる。そして、そのとき泣いたほどのつらさは、今ではもう全然感じない。

いまや私は七の段を自由自在にあつかうことができる。

 

ところで、今現実に立ちはだかる壁は「育児」というやつで、九九のように正解もゴールもない。しかし、「どうしてこんなにつらい思いをしてまで」とつい考えてしまうとき、私は七の段のことを考える。しちく?しちく、ろくじゅうさんのはずだ。オーケー、オーライ。