読書メモ 2019
本を読んだら内容を自分なりに要約してメモしておいたほうがいいなと、36歳になって気づいた。おそい〜〜〜〜。おそすぎた〜〜〜。
メモしなかった理由は、①覚えているから②忘れていたら、その程度のことだから③また読めばいいから だ。
しかし、最近気づいたのだが、①びっくりするほど忘れている②大事なことも余裕で忘れている③また読んだときにはもう理解される内容や受ける印象が全く変わってしまっている。
③が特にメモしたほうがいい理由なのだが、とにかく私の理解は浅薄なので、一度読んだくらいでは全然何もわかってないぐらいのことがよくある。
昔、谷川俊太郎さんの名作「朝のリレー」が教科書に出てきたとき、「時差のあるAB二地点があり、Aが夜ならBは朝、地球上のどこかが常に朝であり、朝である地点は順番に交代していく」という詩の骨格に気づかなかった。「なんか色んな地名が出てくる平和的な情景だな、知らない都市のことはよくわからん」ぐらいに思っていたし、タイトルについてはスルーしていた。かなりやべー奴だ。ぼんやりしすぎじゃない?偏差値3くらいじゃない?
自分が偏差値3という自覚もないので、本を読み終わったときはハー読了読了などと思っており、自分が理解していない可能性についてはあまり思い至らない。
何年もたってたまたま読み返し、「あれ…?なんか印象がずいぶん違うな、こんな内容だっけ?」とボンヤリ思うくらいだ。
まあ朝のリレーは極端な例だが、自分の理解・思考・視点がどのように移動しているのかというのは、けっこう得難い、そして面白い情報だと思う。「以前はなかったが、今はこういう視野があり、こういう情報を拾える」「いまの自分はここに重心があり、こういうことを大事にしている」というようなことが、わかる。そういうことは、印象や感想だけをメモしてもあまりわからない。大事だと思う箇所を要約してこそだと思う。映画とか美術鑑賞とかもそうなのかもしれない。
あと、①②についても軽く言い添えると、一度読んでえらく感心したのに論旨を丸ごと何も覚えていない、みたいなこともあり、本当にやばい。普段はそれにも気づかず幸せな毎日を送っているのだが、でもたまたま何かの拍子に気づくと結構落ち込む。
図書館で借りた本とかだと、また借りるのも面倒だしな…と後回しにする間、喉に骨がつかえたような気分になる。(まあそれもすぐ忘れるし、人はいずれ死ぬ)
そういうわけで書いた読書メモです。各スレッドに続く。
ザ・モデル(福田康隆)を読みました。全体的にかっこいい本だった。 pic.twitter.com/cVjeLwmfnn
— rannn (@rannn) 2019年8月7日
「美味しい料理の哲学」廣瀬純(2005 河出書房新社)を読みました。「どこまで本気なのか?」と心配になる、極端な感じがやばく、「ヒトは折り畳むとイカになる」など無茶なパワーワード満載。 pic.twitter.com/UQPr4k6ReE
— rannn (@rannn) 2019年8月22日
舞ボコ読了。面白いことを説明すると普通つまらなくなるのに、面白いのが凄い。これだけの規模とパワーの未発見ジャンルがあったことも驚くが、それを見つけてここまで体系立った背景考察をつけたこと、すごい仕事だなーと思いました。どれだけの作品読んだのだろう。 pic.twitter.com/Z8KETqn3Gv
— rannn (@rannn) 2019年12月6日
「コウケンテツのおやつめし」を読んでいる。コウさんのレシピはどれもしみじみ美味しくて何度も作りたくなる。なのに「恥ずかしい話なのですが(略)ぼくのつくる離乳食をあまり……食べてくれなかったという……」と書いてあって、感情移入しすぎたところへ
— rannn (@rannn) 2019年10月12日
10代くらいから書いてたらかなり面白いと思うんだけど、自分が若い頃に読書メモを勧められたら嫌だったろうな。ていうか、多分勧められたし、嫌がったし、その結果がこれなわけで、あのとき勧めていただいた理由がわかりました、どうもすみませんでした。おそい〜〜〜〜。あと誰がいつ勧めてくれたとかも、全く覚えてない〜〜〜〜。さよなら〜〜〜〜。